他者がいてこその自己
- 著者: 小坂井 敏晶
- タイトル: 民族という虚構
民族を問わず、他者ってどうやって定義するの?ってな問いに答えてくれたぜ!小坂井さんありがとう!
この著者、結構アウトローな人生歩んでて、
今は大学教授だけど、努力家なんだろうなと思ってます。
さて、他者って自分以外の人ってことじゃん。
つまり、それをもう少し大きく取れば、ある民族がいて、それをどうやって定義するかっていうと、
例えば世界に日本人、アメリカ人、フランス人、それ以外の人々しかいないとする。
すると、前提としえ日本人、アメリカ人、フランス人は血族や言語で定義できてるとしたら、それ以外の人々は、
日本人、アメリカ人、フランス人 以外 の人々で定義すると。
まぁこういうふうに私は読んだ。
当たり前だよって思ったけど、じっくり考えるとおもしろい。
先にワレワレは○○民族だと、定義するんじゃなくて、
他者ではない、ワレワレ。と定義する。すなわち、
先ずもって、他者がいるわけじゃ。
他者がいてこそ自己が存在するってな話きゃな?
消去法みたいな形で自己ができあがるのきゃな?
わたし、読んだとはいえども、読みこなせてない気がしてきた。
はい!もう一回読みます!もう一度コメントします!