Five seasons  -4ページ目

保存 あるは 消去 その狭間で。

時刻は12:00をまわる寸前だった。

なるほど・・本日は晴天なり か。


起床した瞬間、窓を全開にし、飛び出した。

布団を片手にベランダへ。


太陽と交われ!そう言って、布団を干した。

そこから、今日の大掃除&模様替えが始まったのだった。


さて、どこから手を付けようか、部屋を見渡してみた。

思った・・・手のつけようがないかもしれないと・・。


いや、まずはゴミだ。

迷った、どれがゴミだ?

1ヶ月後に使わないものはゴミか?

あるいは1年後か?

とりあえず、ゴミ箱に入れてみて、ココロが痛まないものを

ゴミだと思ってみよう。

そうして、ゴミ箱にポイポイ捨てたら、ゴミ袋が4つになった。

上出来だ。


さて、次は何だ?そうだ本棚だ。

迷った、どうやって整理しようか。

ジャンル別か?出版社別か?あるいはサイズ別か?

こちらの本棚から、あちらの本棚へ。

そちらの本棚から、こちらの本棚へ。

移動・・移動・・・結局・・・現状維持。

ただ、寝てた本を起こしただけ~。


こっちのモノをあっちへどかして。

あっちのモノをこっちへどかして。

なんだか掃除してる気がしてたんだ。

でも、場所が変わっただけだった。


意味もなく、クローゼットの中身を全開にしてみたり・・・

意味もなく、ペン立てからペンを全開にしてみたり・・・

意味もなく、模様替えを悩んでるフリして、休憩してみたり・・・




そんなこんなで、正午から始まった大掃除大作戦は、

結局21:00を持って、終了した。







巧みに操れ!

あの人に、あなたに、あいつに、彼に、彼女に・・・


いくつの語彙をもって、伝えるのでしょう。

いくつの語彙があれば、伝わるのでしょうか。


いったいワタシはいくつの語彙 で言葉を操るのでしょう。

知っている語彙数は、約55000。


延々と文を書き綴っても、同じ語彙が繰り返されてしまうだろう。

知っている語彙と、使っている語彙の差は限りなく多いでしょう。


比喩的表現や、含意を表現したり、言葉をもっと操れれば、

同じ意味の文章でも、より豊かな文章が書けるのでしょうね。


頭の中にあるモノを表現するのは言葉だけではないかもしれない。

それでも、思考を外在化できないなんてことのないように、語彙を増やせと

広辞苑を開いてみよう!



と・・・開いてみた、広辞苑。

まるで反比例するかのように、

まぶたはゆっくりと、そして自然に閉じていく・・・。


( ゚Д゚)ネムヒー


届くのは 声のみかしら

前略


携帯電話


あなたを身近に感じるようになったのは、いつ頃からでしょうか。


いつの間にか、そしてあっというまに、そばにいる存在になりましたね。


ワタシが出会ったのは、きっと10年前くらいだったでしょう。


そのころのあなたは、やたらと大きく、やたらと重たかったです。


今やずいぶん痩せて、ずいぶん軽くなりましたね。


あなたのおかげで、知人・友人の差が消えてしまいました。

あなたの番号・あなたに届くアドレスを知っていれば、あたかも友人のようです。


ボタン1つで、誰とでもつながれるような気がします。

想いを伝えるのも、いとも簡単にできてしまいます。


でも、それはイイこととは限らないかもしれませんよ。

あなたのおかげで、今すぐにでも想いを伝えることが

できる。しかし、修正もすぐできてしまう。



1時間も2時間もかけて、想いを巡らせ、やっとの思いで

伝えたとしても、1分後にはすぐに訂正も修正も何でもできます。



あなたがいなかったらと考えると歯を一本残らず震わせるほど

恐ろしいです。


こんな刹那に想いが伝わってしまうなんて・・・

文通なんて古いでしょうが、そんな時代もあったでしょう。



人と人との距離感は縮まったのかもしれません。

それでも、その深度は浅いものかもしれません。



電話一本で何でも解決してしまう世の中になるのでしょうか。



あなたのおかげで、誰も孤独ではないと思える世の中になるでしょうか。


電源が切れた・・・その瞬間しか孤独を味わえないのかもしれません。



原点回帰

「チャーリー」

「フランシス」

「ジェーン」


この3つ・・何を思い浮かべる?

外国人の名前のようだが・・ちょっと違うんだな。


実は、去年フロリダで発生したハリケーンの名前。


そっかそっか で終わらない。

このハリケーンが究極の少子化対策になっているらしい。


このハリケーンで、フロリダ中部は停電に見舞われ、

暗闇の中での生活を余儀なくされた。


最初のハリケーンから9ヶ月が経って、

出生率が昨年比で25%も増加したらしい。


見事なまでの少子化対策!


・・・停電が起きて、暗闇の中の生活・・・家にこもって何をする?・・・

なるほど・・そういうコトか・・・

長時間のロウソク生活と暗闇・・・そしてベビーブーム・・・


死が差し迫る 絶望的な状況にあったのでしょう。

種の保存という人間の本能は、ここへきて作用したのでしょう。


少子化対策か。

自然にはかなわんな・・




チャーリーズエンジェルとは言ったもんだ。

(´▽`*)アハハ





太陽の裏切り者

tokyo_journey



床についたのは、明け方6時だった。

寝られなかったわけじゃない。寝なかったの。


まさか裏切られるとは思わなかったから・・・

太陽よ!あなたは日曜は雲に隠れると言ったじゃないか!

だから日曜は外出しないでいようとオモッタのに!


こんな晴れたら、出かけるしかないじゃないか!

と、太陽とワタシの押し問答は10分くらい続いた・・。


就寝6時・・起床10時・・・

また奴から電話が鳴った・・・


「おはよう!今日は山か?川か?」


「じゃ。川で!」


そう言って、起床5分後には荷物をまとめて玄関を飛び出した。


どこに行こうか?

否や、川で何を食べようか?

これが自然な問だった。


そうだ!魚を焼こう!


TODAYS  MENU

:マグロのステーキ

:ラーメン

:ガーリックハンバーグ

:牛ステーキ


いつも通り、食べたいものを食べたいだけ買った結果でした・・。


行き先は適当だった。

ま、渋滞を避けて、山が見える方へ向かっただけだった・・

そしたら、着いた。。

東京のはずれの、秋川だった・・


久々に裸足で川を駆け抜けた!

「駆け抜ける喜び」 ここにあり!


川を泳ぐ犬達にも出会った。

麦わら帽子の釣り師の一個連隊にも出会った。

裸で川に浮かぶオジサンにも出会った。(←死者じゃぁない)


いろんなモノを食べて、いろんなモノをみてたら

眠くなって・・

今日は気温、風の強さも適度だったので、

少し昼寝をしてしまった・・・


起きたら夕方6時過ぎ・・・

チリチリと火種がまだ生きていた・・

気付けばもう誰もいなかった・・


太陽ももういなかった。

ここ最近、太陽に会わなかったから

久々に会えてよかった。


梅雨前にもう一回くらい行けるかな?




「新」という名の虚構

Nihil sub sole novum.


「太陽の下には何も新しいものはない。」


新たな技術が生み出されるかもしれない。

革新的なものが生まれるかもしれない。


それでも、太陽の下にあるのは事実で、

すでに太陽の下にはあったのだ。


何も目新しいものなどない。

きっと気付かなかっただけで、

それは人間の目に触れるのが新しいだけなのかもしれない。


そう格言は教えてくれた。


人の目に触れずに、それでも存在しているものが

ゴロゴロ落ちているのかもしれない。


一切の「無」から生まれるものなど・・・



アイデンティティに先行する・・

わたしのアイデンティティ

あなたのアイデンティティ

 

ま、そのまま訳していいんかな?

じゃぁ、同一性ってこと?

 

確かに最近巷じゃ、「自己同一性」なんて

よく目にするし、よく耳にする。

 

同一性・・・悩むな。。( ´ロ`)

 

同一性ってことは、ナニカがそれと同一だってことね。

てことは、常に2つの存在が必要なわけか。

 

ある存在が、別の存在と同じだと。

じゃぁ、「A=A」って構図ができあがるわけか。

等符号をはさんで2つ並んで仲良くみえるけど、

でも一緒なら、

「左辺のAは、右辺のAだ」と云うこともできるが、

同じAならば、

「Aが存在する」と云うほうがアイデンティテイによく似合う。

 

つまり、同一性と云っても、それは別の存在と同じだと

云うのではなく、単一にそこに存在すると、こう云うのかな。

 

ヒトに置き換えてみようかしら。

「ワタシは何であるか」

という問いか、あるいは

「ワタシがあるとは、どういうことであるか」

と、こう問えるわけだ。

 

自己内部に存在するある概念なのか、

それとも

他者との、差異性や関係性に基づいて

規定されるものなのか。

 

ワタシは誰?

って発した瞬間、何らかの答えが生まれれば

もうそれはアイデンティティの答えの一部なのかもしれないね。

 

理想の球体 

その道を歩いていたのは、先週の昼下がりだった。


ふと、視線を2時の方向に向けると、お寺があった。


お寺の塀に、張り紙があった。

 真っ白い紙に、こうあった。


 「自分で丸くなれる石なんてない」



その瞬間、自分の胸元をまさぐり、紙とペンを手にして、


書き綴っていた。


 で、いま目の前にそのメモ用紙が置いてある。



 角のあるヒトって、周りにもいるでしょうね。



なんか、ただの毒舌とは違う。

もうその存在自体が、刺々しい。


 ワタシがあなたを丸くしてみせる!

なんて、思いはしないけれど、


でも変えられるのは周囲の環境なのでしょう。


 他者からの影響によって、丸くなれるのでしょう。



 石だってそうでしょうね。

風にあたって、少しずつ丸みを帯びるのかもしれないし、


雨にあたったり、他の石とぶつかり合ったり、

常に「他」の存在と触れあうことで、角がとれていく。


ヒトだって、同じだと云いたいのでしょうね。

それは家族かもしれないし、

友人かも、それとも恋人かも、

はたまた敵かもしれないね。


 だが、いずれにせよ他者との関わりなくしては変われない。

 親しき友といるだけでは、


四角い石の一角しか丸くなれない。


そんな不自然な石になりたいでしょうか。


 家族を、友を、恋人を、そして敵を愛せ!



そしてあなたは まん丸にな~る●⌒ ヽ(´ー` )

聖域に侵食する理性 

いつからだろうか。

手帳に一枚の新聞記事が挿んである。


「クローン技術と医療倫理のついて」


医療技術が発展することに、異論の余地はない。

難病から解放されるなら、その技術を誰も咎めないだろう。


しかし、それが神の領域に接触した瞬間、

人々は、敏感に反応する。


人がヒトを造るなんて・・・

ワタシには馴染めない。


医療はどこまで進歩するのでしょうか。

医療の進歩にゴールはあるのでしょうか。


人の寿命が延びれば、技術の進歩と言えるかもしれませんが、

それと同速度で、医療倫理は伴いきれるのでしょうか。


クローン技術が正当とみなされ、普及するとしても

それは、きっと富裕層の医療であり、

今なお解決されない貧困層の医療にまで普及するのでしょうか。


このクローン技術と医療倫理の問題は、今もそしてこれからも

様々な問題をはらむでしょう。


ワタシにはあまりにも大きすぎた。

クローン技術・医療倫理に考えが巡るほどの

思想は持ち合わせていなかった。

ただ、不安になり、そして警戒するしかなかった。


やはりこの記事はもう一度手帳にしまっておこう。


そしてまた、読み直そう。

神の領域に侵食するかもしれない人間のこの先に

何が待っているのか、考えなければならぬな。



「個」持ちうる情報の結節

動物として生まれました。

人間として生まれました。

アジア人として生まれました。

日本人として......................

........................

..............

.........

...

.こうして、小さな集合へと要素に還元すると、

きっと「個人」という小さな単位に行き着くのでしょう。


いま、その小さな個人という単位に付随する情報に

どれだけの価値があるかと、問われている。


「いったいあなたは誰?」と自然な問いに対して、

敏感になれと云われている。


未完全とはいえ、情報化された時代ですから、

情報に経済的な価値が生ずるのは自然な流れでしょう。


それゆえ、極小さな「個人」の情報に、経済的価値が

付与されるのも、それまた自然でしょう。


それゆえ、「いったいあなたは誰?」と問うのは

あなたに感情をもつ者だけではないでしょう。

経済的利益を求めて、そう問うのかもしれないだろう。



どれほどの情報が与えられれば、「あなた」を

他の誰でもない「あなた」と感じることができるでしょう。


名前だけで、「あなた」は「あなた」でしょうか?

電話番号、住所だけで、「あなた」は「あなた」でしょうか?



きっと、「あなた」に付随する情報は、それだけではないでしょう。



何が個人情報なのでしょうか?

否、ある一定の範囲をもつ情報の集合が個人情報なのでしょう。


およそ、要素としての情報は価値を持つには程遠いだろう。



ある単体の情報が漏洩したとしよう。

それ自体が、問題なのではないでしょう。



問題は、その情報から、

集合としての情報が漏洩できてしまうことでしょう。




ある情報から紐付けされてしまうコトに、

情報漏洩の本質はあるのではないでしょうか。